北朝鮮から来た挑戦状

『民衆の北朝鮮』(アンドレイ・ランコフ、花伝社)が何か知らんけど面白い。新しいとは言えない本(翻訳で2009年だから、原著は2007〜8年あたり)だからもう実情は変わってるかもしれないけど、北朝鮮の市民生活が赤裸々に書いてある。まぁ、まだ途中なんだけども。

面白いのは著者の経歴。ソ連時代のロシア人で、北朝鮮に留学後一旦ソ連に戻り、今は韓国の大学で教授をしている。


以前この手の、政治史とかとは少し離れた北朝鮮関連の本として『LIVE講義北朝鮮入門』(磯崎敦仁・澤田克己、東洋経済新報社、2010)があった。これも面白かったけど、民衆の描き方が違うなぁと思ったんだよね。


『民衆の北朝鮮』に出てくる北朝鮮の人たちは、どっちかというと「まだこんなことしてるんだ」というイメージで描かれている。アメリカに対する敵意とか、集会とか。もちろん、それは本心から来たものじゃなくて、そういう風に教育されてしまった結果なんだけど、少なくとも著者の書き方からは、「遅れた国、進ませてもらえない国」という印象を受ける。一方で『LIVE講義』の方は、むしろ「意外と普通の国」という書き方をしているように感じられた。


この二つの違いはやっぱり、主要な読者を誰に想定するかにあるんだろう。日本人の中での北朝鮮のイメージは、拉致問題テポドンといった現実的な脅威が大きい。さらには全体主義国家なのでそれを批判できない、あるいは(形だけでも)支持し続けている民衆、という構図になる。だから『LIVE講義』の中では「北朝鮮の人たちも私達と同じようにいろんなことを考えながら生きているんだよ」という書き方をして、負のイメージを少し軽減させてあげる必要があるわけだ。

だけどロシア人にとってみれば、北朝鮮はかつての社会主義陣営のお友達だ。もちろん今もうソ連が崩壊して20年経ってるから、当時の通りの感覚を持ってる人ってあんまりいないのかもしれないけど。一方で、北朝鮮はまだ社会主義全体主義的なイデオロギー固執している国だ。そうなると、「昔自分達も似たようなことやってたけど、もうやめた。北朝鮮はまだ頑張ってるんだねぇ」という書き方をした方が読者受けが良いってことになる。


少し話はずれるけど、私は実はけっこう北朝鮮ネタが好きだ。多分、純化されたイデオロギーとそれに基づく政治をやると何が起こるか?っていう盛大な社会実験的なものを今でもやってる国、っていう意識があるんだと思う。中国ですら経済システムはもうほとんど市場化してるわけだしね。社会科学にかかわる人間としては、ある種の実験サンプルみたいに見てしまってるわけ。もちろん、そこに住んでいてつらい思いをしている人はたくさんいるし、そういう人たちのことを忘れたら本末転倒なんだけどね。